空き地

ブログ名はそのうち変えます

縄文号とパクール号の航海 2016-53

探検家・関野吉晴が人類の移動を自分で確かめるため、道具を自然素材から手作りし材料を集めて手作りの船を作り、インドネシアから日本の沖縄までを風と人力だけで航海する。

湾生回家 2016-52

戦前・戦中に当時は日本だった台湾で生まれた人たち「湾生」の人々を追ったドキュメンタリー。

 

戦前、日本に割譲された台湾に移民した日本人がいた。湾生とはそこで生まれた子供たちのこと。敗戦して日本へ帰国した人もいれば、台湾人と結婚していたために台湾に残った人もいた。そんな湾生の人たちのドキュメンタリー映画。日本へ帰国した湾生は故郷台湾を訪れ、知人の消息を追い、幼少期の思い出を懐かしむ。 クライマックスは台湾に残った片山清子さんのエピソード。母の片山千歳さんは台湾で清子さんを生んですぐに夫を亡くし、一人では育てられないので台湾人へ養子に出して日本へ帰国した。清子さんは実の母に捨てられたと思って、千歳さんを恨んで暮らしてきた。だが今や寝たきりになった清子さんに代わって娘と孫が日本へ渡って調べた結果、千歳さんの身元やお墓が判明した。そして戸籍には、養子に出してもう日本人ではないにもかかわらず、台湾に残してきた清子さんを実娘として登録していた。自分は実母に捨てられたのではないと知らされた清子さんは、病床で涙を流す。

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人間爆弾 桜花 2016-51

エンジンを持たず、グライダーのように飛んで敵の戦艦めがけて特攻する『人間爆弾』の最初の志願者で元隊長だった人へのインタビュー。

死の覚悟、生と死の違い、隊長として沢山の親友や後輩たちを特攻させ殺してきたことへの思い。天皇の存在について。

 

最初の特攻志願兵で特攻隊の元隊長のインタビュー。 当時23才で、自分が飛行機の乗りかたを教えた学徒動員兵の出撃も自分が決めた。自分で育てて自分で殺した。殺す人間を選んだ事に後悔はない。見送ったあとは悲しくて草むらで泣いた。 生きる事と死ぬ事に変わりはなかった。死ぬまでの間、生き延びているだけ。 送り出した部下で一番の親友の仏壇に大きな勲章が置かれているのを見たときは感動した。 多くの若者が特攻したのに戦況は良くならない。上官の少佐に、こんな馬鹿馬鹿しい作戦はすぐにやめるべきだ、特攻隊のきっかけになったお前が言えば考え直して貰えるのではないかと言われた。だが参謀は別の方法を考え出せなかったので特攻は続いた。その少佐は2週間後に戦死した。 天皇と国のために沢山の若者が特攻して死んでいったのに、いまだ天皇からすまなかったという一言の謝罪もないのは残念に思う。そんな天皇ならいらない。

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ニッポンの、みせものやさん 2016-50

日本に唯一現存する見世物屋の興行者に密着したドキュメンタリー映画。毎年上映されているらしい。去年もこの時期に見た。

 

はやくきたらポストカード貰えた。去年100円で買ったポストカードを。

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あなた、その川を渡らないで 2016-49

韓国の老夫婦のドキュメンタリー映画。病気で日々弱っていくおじいさんが亡くなって天国へ行ったときに着れるようにと、その死を覚悟して服を火に焚べるおばあさんの姿は壮絶だった。

ただ、全体的に演出が強すぎるのでは。病気で寝込んでいるのに、ずっと部屋の戸を開けて外から撮影し続けるのとか、悲しいシーンに悲しいBGMを付け、直後に少し明るいシーンを繋げてコミカルなBGMを付けるとか、おじいさんが亡くなったあと雪の降りしきるお墓でおばあさんが一人で泣き続けるとか。子供や孫がたくさんいるのに。

記憶の中のシベリア(『祖父の日記帳と私のビデオノート』、『海へ——朴さんの手紙』)2016-48

監督が自分の祖父に戦争の体験を聞くドキュメンタリー『祖父の日記帳と私のビデオノート』、その祖父のシベリア抑留について取材する中で知り合った元日本兵の韓国人朴さんのドキュメンタリー『海へ——朴さんの手紙』の2本立て特集。

特に『海へ——朴さんの手紙』が心に残った。日本軍の兵隊として下関にやってきた朴さんは、一生の親友となる山根さんと出会う。終戦そしてシベリア抑留で山根さんと離れ離れになった朴さんは、記憶を頼りに山根さんの身を案じる手紙を何度も出し続けるが返事のないままだった。日本人女性の監督と出会った朴さんは、山根さんの所在探しを頼む。

朴さんの山根さんに対するあまりにも一途な友情の厚さ、そして苦心の末探し出した山根さんの奥さんと監督の会話が恋話になるところなど。